せっきーの日記

ドラマ『アライブ』を語るために始めました。主にドラマについて語ります。

どんな衣装を身に纏おうか

 

あなたは今、どんな服を着ていますか?見た目の印象を左右するアウターはどんなものですか?冬だから厚着をしていますか?人に見えない下着はどんなものですか?

 

 

待って、これ都市伝説の「お姉さん、どんなパンツ履いてるの?」みたいになってる!?それはマズイ!!そんな事言いたいんじゃないんだ!!そんな事聞きたいんじゃないんだ!!本当に!!……いや本当に!!

 

 

 

 

映画『花束みたいな恋をした』

 

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皆さんはご覧になっただろうか。

 

(あ、ネタバレありますのでご覧になってない方はお気をつけ下さい。)

 

山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)、終電を逃した2人の運命の出会いから始まる5年間の恋の軌跡を描いた作品である。

 

何が運命か、もちろん出会い方だって運命だ。自分だって終電逃した有村架純と目が合ったらその瞬間に運命を感じる。終電を逃さまいと改札を通ろうとして菅田将暉とぶつかったら運命を感じる。そして菅田将暉有村架純がその場で出会ってしまったらやっぱりそれは運命だ。

 

でもそれ以上に彼らは趣味や考え方がとことん合うのだ。好きな作家、好きな音楽、好きなお笑い芸人、ジャンケンへの不満だってそう。こんなに相性の良い相手とこんな出会い方をしたらそりゃ運命を感じる。

 

彼らを繋いだのは本や音楽やお笑い等、「カルチャー」という衣装だった。「運命の出会い」という衣装だったのだ。

 

そこからはもうトントン拍子。楽しそうにイチャイチャしてましたわ。お金を払って2人のイチャイチャを観てましたわ。公共の場でイチャイチャしてるカップルとかクリスマスデートしてるカップルとか見るとイライラするのに、2人のイチャイチャはお金を払ってでも観ていられたんだけど?これはなに?やっぱり菅田将暉有村架純のイチャイチャだから観てられるのかな?クリスマスにイチャイチャしてる菅田将暉有村架純は全然観てられるし?じゃあ逆にその辺にいるクリスマスデートしてる普通のカップルでも金を払って特等席でそのイチャイチャを見られるとしたら?いや全然おもんないな!!なんで金払わなあかんねん!!金払ってイチャイチャを見せて頂くってなんやねん!!!早よ帰らせろや!!!

 

やっぱり菅田将暉有村架純のイチャイチャだから観ていられるのですね…(ゴリゴリに脱線した…悪い癖が出てしまった…)

 

 

 

大学生から社会人へとライフステージを変えた彼らは同棲を始め、交際も順調に進んでいた。

このままずっと幸せそうな2人を観ていたい。そう願った。

 

 

ただ残念、そこは坂元裕二脚本、このまま行く訳が無かった。

 

 

お互いの共通点である「カルチャー」で繋がった彼らは1つのきっかけで身ぐるみを剥がされてしまう。「カルチャー」という衣装を2人で揃って着ることが出来なくなってしまうのだ。

 

冒頭30分ほど、起承転結の『起』の部分、先にも書いた通り彼らは運命と言っても良いほど好みがピッタリだった。

 

だがどうだろう。そこから更に30分、起承転結の『承』の部分、微かに2人の恋愛観や人生観の違いが描かれていく。

 

恋の始まりは終わりの始まりと主張するブログを愛読する絹と将来を楽しそうに想像する麦、『女性に花の名前を教わると今後その花を見た時にその女性を思い出してしまう』という理由で花の名前を教えなかった絹と教えて欲しいと言った麦、夢を半ば諦め就職を決意した麦と要領よく就職を決めるが楽しく仕事をしたいという思いを捨てられない絹、ガスタンクの映画だってそう、絹は途中で寝てしまっていた。微かなすれ違いがそこにはあったのだ。

 

彼らを繋いでいた「カルチャー」という衣装が無くなった時、彼らを盲目にしていた「恋」という衣装を着られなくなった時、彼らが裸になった時、微かなすれ違いが大きな歪みになってしまう、そんな予感がした。

 

 

そして起承転結の『転』がやってくる。恐れていた事がやってくる。

 

麦は「仕事」という衣装を着る事になる。恐らくそれはとても重くそして厚い服だったのだろう。あれ程楽しく嬉しそうに語っていたカルチャーという衣装を着る事が出来なくなるほどだ。

 

ゴールデンカムイ最新刊を楽しそうに読む絹といつからか全く読まなくなってしまった麦、一緒に舞台を観に行こう!と楽しみにしていた絹と仕事を優先させる麦、好きな作家の新刊を見つけてウキウキする絹と啓発本を手に取る麦…

 

麦が「仕事」という衣装を着た事がきっかけで微かなすれ違いは大きな歪みになっていく。大きな歪みにお互いが気付いた時、終わりを意識し始める。「カルチャー」や「恋」という共通の衣装を着ていられなくなった時、2人を繋ぎ止めておく理由が見つからなくなる。

 

こうなった時、どうすれば良いのだろう。

 

「新しい趣味」という衣装を探してみようか?でも私も社会人1年目だから少し分かる。今から新しい趣味を見つけるのは結構面倒だ。相手に合う趣味を見つけたり相手を自分の趣味に染めようとする事は尚更だ。その労力を別れが見えている恋人に使えるだろうか?

 

 

麦がこだわっていた「結婚」という形、「夫婦」という衣装、これもまた彼らを繋ぎ止める新しいアイテムだったのかもしれない。

 

結婚の先にある「親」という衣装、これも彼らが一緒に人生を歩んでいくためのビジョンの1つだろう。

 

だが選べなかった。選ばなかった。彼らは「恋」という衣装がボロボロになるまで着た後、2人でこの関係を続けていくための新しい衣装を着る事を選ばなかったのだ。

 

別れてからの3ヶ月、絹の新居が中々見つからず彼らは元恋人として同棲を続ける。

 

その姿は清々しく、会話がほぼ無かった最後の期間なんて想像できないほど楽しそうだった。これを可能にしたのは「元恋人」「ぶつかり合い分り合い、そしてこれから会う事もなくなる2人」という衣装なのだろう。

 

『恋に終わりはあるのか』

 

この問いへの坂元裕二の答えは『ある』なのではないだろうか。

 

「恋」という服をボロボロになるまで着続けて、もう着ていられないとなった時、2人でまた新しい服を見つけられれば良いのだ。それは「愛」かもしれない、それは「夫婦」かもしれない、それは「趣味」かもしれない、それは「元恋人」かもしれない。

 

恋に終わりはある。でも恋が終わっても新たな形がある。そんなメッセージを感じた。

 

 

 

1人1人身に纏っている衣装は違う。カルチャー?仕事?恋?親?子ども?そして同じ衣装に見えても1人1人作り込まれ方が違っている。そんな服をみんなが重ね着しているのだ。

 

同じ衣装を着ている人に出会った時、共通点を見つけた時、その出会いは特別なものになる。そして友達や恋人や家族と一緒に新たな衣装を見つけた時、その衣装は特別なものになる。

 

 

さあ、どんな衣装を着て過ごそうか、どんな衣装を探しに行こうか。